武器になる哲学、などの著作家である山口周さんの言葉です。
これまでの自分の能力、今の能力、考え方、取り組み方では乗り越えられないような壁を乗り越える、これがハードワーク。
反対にロングワークは「疲れ」しか残らない、と断言しています。
学校でも塾でも家庭でも小学生、中学生に私たちは「ロングワーク」ばかりさせてませんかね?
ちょうどいい課題を出すのは難しいです。よく観察しその人のことを理解しなくてはならないです。運もあります。
それがハマれば授業を終えても取り組み続けたりします。これがハードワーク。塾のパズルでも時々います。
小論文でも型通りのありきたりな文章から、自分らしい文章を考えるにあたり結果的にとても時間がかかる、そんなこともハードワーク。
何かを乗り越える時には遠回りをしたり、自分のごまかしと向き合うので結果的に時間がかかる。言葉で言うより辛い。
でもそこに成長の喜びがあるから勝手に頑張るわけです。
パソコン中心だったり、一斉指導だとそのあたり個別に見るのが難しいので、結局ロングワークに頼ることになります。
テスト前にとりあえず量をさせるために12時から21時まで塾にカンズメにする塾に行っていた子がいました。
前提として自分が伸びるためにそれだけ時間がかかるというのは良いと思いますが、反対に前提がないただの強制的なロングワークになっていそうだなと思います。
こういうのを喜ぶ大人がいますが、私はマイナスが大きいと思っています。
疲労だけでなく、辛い、やりたくない、そんな気持ちです。いきいきとした表情を奪ってしまってないか。
塾だけでなく学校(高校や私立の中高)でも生徒にロングワークをさせている話を聞きます。
そんな話を聞くたびに胸が痛みます。
教育関係者はハードワークを提供できずに、ロングワークさせている後ろめたさをちゃんと感じて欲しいです。
また、大人になってからを想像するとロングワークばかりしてきた人とハードワークで自分の中の小さな壁を一歩ずつ乗り越えた人で随分違うんじゃないか。
ハードワークを乗り越えてきた人が自信をもってワクワクできる。
ロングワークとハードワーク、どういう大人に育てるか、その点でも大事な視点だなと思います。
皮肉ですが、ロングワークをさせている大人がハードワークで自分の枠を越える必要があるのではないでしょうか。
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