小学生の授業では、はじめに最近あったことなど話します。
小学5年生の子が「6年生の卒業式の見学をしていた時に、きちっと座っていないのを先生が見て『来年の6年生なのにちゃんと座れないから不安です』って叱ってきたのがなんか嫌だった」と話してくれました。
その後、新美南吉の「手袋を買いに」という話を音読したのですが、その話は母ぎつねは昔、人間から嫌な思いをさせられ、でも子どもきつねは人間っていいなという経験をして「人間はいいものなのか、悪いものなのか」と悩む話なのですが、どう思う?と小学生たちに聞きました。
人間にもいろいろな人がいるし、1人の人間でもいいことをする時もあるし、悪いことをしてしまうこともある。
人間や6年生で束ねてしまわないで欲しいよねという話をしました。
人をひとくくりに束ねることを、私たちは「しがち」です。
偉いと言われる人に盲目的に従う権威主義や反対に〇〇人は〜というような差別につながります。
学習(教育)の目的は、おおざっぱにとらえたり、反対に細かく分析したりすることで権威主義や差別などの感覚的な理解から離れられる人を育てるということもあるかなと私は思っているのですが学校教育や塾の教育の中には平然と人間を一括りにする面がなかなか無くならないなと思っています。
いまだに一部の高校では大学をMARCHとか日東駒専とかグループ分けしていたり。
創業者やこれまでの教員、学生の想いとかを単に偏差値という数値で輪切りにすることに疑問はないのかなと思っています。
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